他人の目が気になる人へ
人の目が気になる。
他人の評価が気になる。
なんとなく人が怖い。
僕は10代からそんな日々を送って来ました。
そして、そんな自分が情けなく、悔しくもありました。
しかし、それは決して情けなくも、悔しいことでもないことだということがこの何年かをかけてわかって来ました。
人の目が気になったり、評価が気になったり、なんとなく人が怖いなと感じながら生きている人は、そうなる理由があるということがわかって来たからです。
僕の家は常に不機嫌な人間が何人もいて、その日その日で、機嫌がコロコロ変わり、機嫌が悪い日には子供でもわかる明らかに八つ当たりとしか思えない理由を見つけては怒鳴られていました。
他にも具体的に覚えてないだけでそんなことは日常茶飯事だったように思います。
それが殴られてないだけで、精神的虐待であったと知ったのは大人になってからでした。
誰も守ってくれなくて、機嫌次第で攻撃される。抵抗出来る力が物理的にも、知力的にもない。
子供の僕からすると、それはものすごい恐怖の世界です。
僕の様に極端な例ではなくても、そういう家庭が脅威に満ちた家に育てば、他人の機嫌をとることが至上命令で、周りの機嫌にビクビクするのは当然なことなんだと最近改めてわかったのです。
自分の平和が相手によって決まる、自分の存在価値が相手の価値観や判断で決まる。そういう生活が当たり前になれば、他人の目が気になる様になるのは当然です。
他人の判断=自分の安全、自分の価値なのだから。
僕の様に家が脅威に満ち溢れてた人は、どうしたって人の目が気になる様になり、そしておそらくそれが嫌でもそれから中々抜けられない状態が続きます。そこでより自分が嫌いになるという負のループに入ってしまいます。
そこから、どう抜け出していくのか。
それはまず、自分が今こうして他人の目が気になるということは、仕方のないことなのだとまず自覚することです。
子供の時に自分が自覚している以上の傷を食らっているのですから。だから、傷がじくじく痛む様に、人の目が気になるのです。
人に物理的にケガをさせられて、自分の傷が痛むのを責める人はあまりいないと思います。
しかし、心の傷になると、それが目に見えない分、その痛みの責任まで自分に被せて、責めてしまうことがほとんどです。
しかも社会ではコミュニケーション能力だなんて言って、より誰とでも上手に付き合える人間を重宝されたんでは、他人の目が気になったり、怖かったりすれば自分を責めるのは必定です。
でも、それは自分の責任ではありません。
むしろそんなに傷を負ってよく頑張って生きて来たんです。
人より大きなハンディーキャップを背負いながら、今日まで生きて来たのです。
これは安全な家で育って、コミュニケーション能力の高い人間が人生を生きるのとは次元が違います。大怪我を負った人間が山を登る様なものなのです。それが健康で筋肉もある人間と山登りをしていた様なものなのです。
生きてきたというだけで、とてつもない功績なのです。
これだけでもまず自分のことを褒めてあげた方がいいです。
傷をつけたのは他人の責任ですが、癒す、治していくのは残念ながら、自分の責任です。
だから、人の目が気になる人はまずゆっくりゆっくり人の目を気にしながら、気になる自分を許してあげながら傷を癒していくしかありません。
人は良い変化でも、変化そのものを恐れるといいます。
子供の時に教え込まれた価値観からは中々抜けられないのは事実です。
ですが、少しずつでも自分が自分を肯定する。自己肯定感を高めなければどんなに外的な条件が揃っても幸せになれないと僕は思っています。
条件が良くてもそれを実感できないのです。
僕は20歳の時から自分のことをよく考える様になり、早い段階で自分の苦しみの原因を見つけることが出来ました。
それは、自己肯定感のこと。
子供の時につけられた傷で自己肯定感を持てないことで、かなり多くの悩み苦しみを生んでいるということを。
自己肯定感を高めればいいということがわかっても、それが肚に落ちるのはものすごい時間がかかります。
ここのブログでも、何度も自己肯定感について書いて来たのは、それだけ大きくて乗り越えづらい問題だからだと思います。
僕もゆっくりゆっくり自己肯定感を高めて来ました。
以前よりは確実に楽になった自分がいると思います。
だから、自己肯定感が身につくには年単位の時間がかかると言っていいと思います。
じっくり自分に言葉を書き続ける。子供の頃に受けていた言葉と真逆の自己を肯定する言葉を。
大丈夫だよ、でも、好きだよでもいいです。
自分がホッとしたり元気になる言葉を選んでそれを自分に投げかけ続ける。
間違った教育は正しい教育でゆっくり直していけば、必ず変えられると僕は信じています。
究極はこの世界を自分をどう認知しているのかってことですから。
だから、僕の様に人の目が気になる人はゆっくり焦らず自分を肯定して行ってください。
自分を肯定することが特別なことではなく、当たり前なものになるまで。
他人の評価が気になる。
なんとなく人が怖い。
僕は10代からそんな日々を送って来ました。
そして、そんな自分が情けなく、悔しくもありました。
しかし、それは決して情けなくも、悔しいことでもないことだということがこの何年かをかけてわかって来ました。
人の目が気になったり、評価が気になったり、なんとなく人が怖いなと感じながら生きている人は、そうなる理由があるということがわかって来たからです。
僕の家は常に不機嫌な人間が何人もいて、その日その日で、機嫌がコロコロ変わり、機嫌が悪い日には子供でもわかる明らかに八つ当たりとしか思えない理由を見つけては怒鳴られていました。
他にも具体的に覚えてないだけでそんなことは日常茶飯事だったように思います。
それが殴られてないだけで、精神的虐待であったと知ったのは大人になってからでした。
誰も守ってくれなくて、機嫌次第で攻撃される。抵抗出来る力が物理的にも、知力的にもない。
子供の僕からすると、それはものすごい恐怖の世界です。
僕の様に極端な例ではなくても、そういう家庭が脅威に満ちた家に育てば、他人の機嫌をとることが至上命令で、周りの機嫌にビクビクするのは当然なことなんだと最近改めてわかったのです。
自分の平和が相手によって決まる、自分の存在価値が相手の価値観や判断で決まる。そういう生活が当たり前になれば、他人の目が気になる様になるのは当然です。
他人の判断=自分の安全、自分の価値なのだから。
僕の様に家が脅威に満ち溢れてた人は、どうしたって人の目が気になる様になり、そしておそらくそれが嫌でもそれから中々抜けられない状態が続きます。そこでより自分が嫌いになるという負のループに入ってしまいます。
そこから、どう抜け出していくのか。
それはまず、自分が今こうして他人の目が気になるということは、仕方のないことなのだとまず自覚することです。
子供の時に自分が自覚している以上の傷を食らっているのですから。だから、傷がじくじく痛む様に、人の目が気になるのです。
人に物理的にケガをさせられて、自分の傷が痛むのを責める人はあまりいないと思います。
しかし、心の傷になると、それが目に見えない分、その痛みの責任まで自分に被せて、責めてしまうことがほとんどです。
しかも社会ではコミュニケーション能力だなんて言って、より誰とでも上手に付き合える人間を重宝されたんでは、他人の目が気になったり、怖かったりすれば自分を責めるのは必定です。
でも、それは自分の責任ではありません。
むしろそんなに傷を負ってよく頑張って生きて来たんです。
人より大きなハンディーキャップを背負いながら、今日まで生きて来たのです。
これは安全な家で育って、コミュニケーション能力の高い人間が人生を生きるのとは次元が違います。大怪我を負った人間が山を登る様なものなのです。それが健康で筋肉もある人間と山登りをしていた様なものなのです。
生きてきたというだけで、とてつもない功績なのです。
これだけでもまず自分のことを褒めてあげた方がいいです。
傷をつけたのは他人の責任ですが、癒す、治していくのは残念ながら、自分の責任です。
だから、人の目が気になる人はまずゆっくりゆっくり人の目を気にしながら、気になる自分を許してあげながら傷を癒していくしかありません。
人は良い変化でも、変化そのものを恐れるといいます。
子供の時に教え込まれた価値観からは中々抜けられないのは事実です。
ですが、少しずつでも自分が自分を肯定する。自己肯定感を高めなければどんなに外的な条件が揃っても幸せになれないと僕は思っています。
条件が良くてもそれを実感できないのです。
僕は20歳の時から自分のことをよく考える様になり、早い段階で自分の苦しみの原因を見つけることが出来ました。
それは、自己肯定感のこと。
子供の時につけられた傷で自己肯定感を持てないことで、かなり多くの悩み苦しみを生んでいるということを。
自己肯定感を高めればいいということがわかっても、それが肚に落ちるのはものすごい時間がかかります。
ここのブログでも、何度も自己肯定感について書いて来たのは、それだけ大きくて乗り越えづらい問題だからだと思います。
僕もゆっくりゆっくり自己肯定感を高めて来ました。
以前よりは確実に楽になった自分がいると思います。
だから、自己肯定感が身につくには年単位の時間がかかると言っていいと思います。
じっくり自分に言葉を書き続ける。子供の頃に受けていた言葉と真逆の自己を肯定する言葉を。
大丈夫だよ、でも、好きだよでもいいです。
自分がホッとしたり元気になる言葉を選んでそれを自分に投げかけ続ける。
間違った教育は正しい教育でゆっくり直していけば、必ず変えられると僕は信じています。
究極はこの世界を自分をどう認知しているのかってことですから。
だから、僕の様に人の目が気になる人はゆっくり焦らず自分を肯定して行ってください。
自分を肯定することが特別なことではなく、当たり前なものになるまで。
この記事へのコメント
書いてることの状況や辛い部分が今の自分と似ているなと思える所が多くて
どうやったらこの状況から抜け出せるかを考えてて、日々がちょっと疲れてしまっています。
正直限界きてます。
家に居場所が無い感じで常になんか緊張してる状態です。
これからも色々ブログの内容参考にさせていただきます。
また、できることでしたらメールなどのやり取りが出来たらいいなと思っているので
よろしくお願いします!
初めまして。文章を読んでいただきありがとうございます。
Toshiさんも厳しい状況にある様ですね。きっと僕が体験してきたことと共通する様な体験をされているのだと思います。
ここのブログは単純に僕が日頃考えていることや、気づいたり影響されたことを掲載して、それを読んでくれた人に小さなきっかけや刺激を生めればいいなあという趣旨で書いているので、申し訳ないのですが、メールでのやりとりしたりは遠慮させてもらってます。
どこまでいっても実体験をもとにした自己満足なブログですので、不定期に更新される文章を通した交流が出来ればと思います。
またよければ遊びに来てください。
今日「自分を責めてしまう人」で検索して、こちらに出会いました。
読んでて落ち着きました。
また、寄らせてもらいます。
あ、いい意味で「驚いた」ので、絵文字つけさせてもらいました。
はじめまして。コメントありがとうございます。
僕の文章が何らかの役に立てたならとても嬉しいです。
マイペースに更新してますので、また良かったら遊びに来てください。